G.O.S.R.オーナー『SU-』の独り言~日本の方々へメッセージ~

2012.8.1
「ロンドンオリンピック」

8月の日本と言えば、学校の夏休みとお盆と終戦記念日。
特にお盆の前後の何日かは、年末年始の正月休みと同じように国民総休日の数日であるから、ここグアムも盆休みを挟んだ夏休み期間中は沢山の家族連れ日本人観光客でごったがえすのが通年の8月のグアムである。

ところが今年も様子が違うのだ。それは4年に一度のオリンピック。4年前の北京の時も、その前のアテネの時もそうだった。この時期、キッと大多数の日本人は自宅のテレビで日本選手の活躍に一喜一憂しているのだろう。(オイラも、そうしたい、、)

海外旅行はいつだって行ける!それより今はオリンピックだ!(その通りです!)

果たして今度のロンドンは?金メダル何個取れるのか?今はそのことで日本中がカシマシイ。

今回のロンドンに参加している選手諸君に是非頑張ってほしい。
しかし今は昔のような、、ただオリンピックに参加するだけでは今の日本国民はオサマラナイんだ。「何が、、何でもメダルを取れ!と強請る」郷土の英雄として、国民の代表として何回も行われる各種壮行会に貴重な練習時間を裂かれながらも引っ張り出され、挙句、元メダリストかなんかは知らないけれど既にロートル化した脳天気なスポーツジャーナリストと称するこの時期だけマスコミに顔を出すヤカラ達から、あるいは発行部数だけが目的の、視聴率だけが目的の各種マスコミに、好いように煽られ、ヤレ誰ソレは金だ銀だの景気の良い大合唱に、初めは謙虚だった選手本人もだんだんと、、 「今回は行けるのかも知んねー」と、大いに勘違いしだしてその気になり、イザ本番になって必要以上に力が入りすぎて惨敗した選手たちが過去どれほど多くいたか。

オリンピックとは全世界の国々を代表する一流のスポーツマンたちが人種、言葉、習慣、文化の違いを認め合い、期間中寝食をともにしながら各種スポーツを競い合い、お互い切磋琢磨した結果を披露して優劣を競い、成績優秀者を称えるのが目的で、スポーツを通じて戦争の無い平和な地球を未来に繋げて行こうとする崇高な式典なのである。

何々色のメダルを何個取れる、取る。クーベルタンが起こしたしたオリンピックの精神とは、そんな物欲的なメダル取り競争では無いはずだ。未来を担う大切な若者の祭典であるはずが、、、、どーもその辺り、日本は違うよーな気がする。 結団式だ宣誓だ!壮行会だ!さながら太平洋戦争中の「学徒出陣式」に似た、あの悲惨な特攻隊の出陣式にも似てはいまいか?
散々背伸びして無理して、アンだけ国民を犠牲にして戦ったあの戦争中にも、日本という国家とそこに暮す日本人を犠牲にしてまで守ろうとした、、何かが?
既にアレから70年も経つのに未だ見え隠れする薄気味悪さを感じてしまうのは果たしてオイラだけだろうか?

ところで、クヤシー事にここグアムではオリンピック放送が見れない。大阪屋のおじさんも見れない。
無論アメリカのテレビ放送は見れる。だが日本選手が頑張っている姿は残念ながら見れない。唯、見れるとすれば日本人選手とアメリカ人選手が闘う場面だけに限られる、、だけだ。
いつか、4年先か8年先か? 日本国内で思う存分観戦したい。
そのとき大阪屋のオヤジも一緒ならなお楽しいと思う。何しろあのオヤジほど日本人の優秀さを疑わない者をオイラは知らない。

SU-

2012.6.1
「日本の紫外線なんかメジャない強烈な“奴”」

6月のグアムは、「季節」の変わり目である。
日本のような「春夏秋冬」の四季が無い年中「夏」のこの島の季節の変わり目は、今ごろから始まる雨が多いレイニーシーズンと、11月半ばから始まる雨が少ないドライシーズンの、四季ならぬ「二季」?があるだけだ。

そしてこの島の6月は(年中暑いと思うけど)一年を通じて一番暑い。 気温は優に摂氏32度を越す。
「なんでえー大したことねージャン、32度なんてよー、、オイラの街なんか去年40度だったんだぜー」、、、んな事ぐらい、毎晩NHKの海外放送見て知っています。
だから私が言いたいのは気温のことじゃなくて市街戦、、?シリアでなんかの事??ジャなくて、ですね。紫外線の事なのです。18年この島に住み続けているオイラでさえこの時期、昼日中外へ出るとクラクラと目眩を起こすぐらいなんだ。 太陽光線は強烈で紫外線が特にキツイ、、、最近は歳のせいもあるけどネ。

この季節にも日本から大勢の若者たちが来る。アリガタイ事だよ。彼らは日本の長い冬を厚着で過ごしてきたため肌はまだ太陽光線に慣れていないデリケートで敏感なはずだ。尤も最近は温暖化の影響か?春を一気に飛び越していきなり夏のような日もあるようだ。通年6月から衣替えであったが今は5月でもいいぐらいと言う。寒く、長い「冬」が終われば当然「春」が来て、そして「夏」になるにしたがい着る物も徐々に薄着になり、素肌が徐々に太陽に馴染んでいくプロセスが皮膚には良いらしいのだが、、。

ところが日本からわずか3時間という、まるで時空をくぐったようにしてこの島に降り立ち、この島が丁度今頃の、一年で一番強烈な太陽光線に溢れた島であったとしたら。ハタシテその若者の白い皮膚はいったいどうなる?マシテや、いきなり裸で(ゾオー)海に飛び込んだとしら、、、、。結果は日焼けたなんて生易しいものジャない!もはや全身火傷に近い症状になる事は、昔ほど厚くもないがオイラのこの胸をタタイテでも請合う。

この島で一時期(一瞬だったけど)旅行会社に勤めていた時の事。若い男性が、全身を日焼けを通り越した火傷状態に陥り、彼は宿泊したホテルで全身の異様な火照りと発熱に我慢ならず夜中に救急車を呼んだ。彼はそのまま病院に緊急入院、3日間の安静を医師から宣告され、全身火傷の治療を受けたのである。一緒に来た友人たちは彼を置いて次々と帰国し、寂しさと火傷の痛さで夜も眠れない苦しい状態で過ごした。私は旅行会社の者として、一人残された彼をサポートしたのだが、病室で一人、強烈な全身火傷の痛さと戦っていた。寝返りをするのも、起きてトイレに行くのも、クシャミ一つが大変な苦痛に顔を歪めていたものだ。火傷で体が強張ってしまったのか歩くことも儘ならず車椅子に、全身を包帯で巻かれたまるでミイラのような姿であった。楽しいはずの、友人たちとのグアム旅行がマサカこんな形の惨めな姿になろうとは?残念でならない。涙ながらに言っていた。

日本では6月になると、特に女性は「紫外線対策」はしっかりする。ニュースの時間にも天気予報のおまけのようにして紫外線注意報を出すのが最近は、「当たり前だのクラッカー」なのだ。ただ、こっちの(現地の)女性たちはあんまり気にしない。メラニン色素が多いからか?(紫外線に対して強い肌)元来そんなのに無頓着なのか?年中タンクトップにジイパンで過ごす。タクマシイと言えば、言える。 北緯13度50分にあるこの島の位置は、赤道までたった1500キロの近さなのだから日本よりハルカニ太陽に近いということだよ。お陰でオイラも18年前に比べてメラニンが増えたか?黒くなったもんだ。その代わり紫外線に負けないこっちの人とおんなじだ。

そんな訳だから肌が白い若者たちよ!特に文科系の諸君!確かにこの島は日本から近くて楽しい島なんだけど、日本の紫外線なんかメジャないココの強烈な「奴」には十二分に気をつけてくれたまえ。そいじゃー、、過度の日焼けには十分気を付けるんだよ!

SU-

2012.5.1
「5月のグアムの楽しみといえば、“マンゴー”です。」

マンゴーの季節。
5月のグアムの楽しみといえば、マンゴー(果物)である。 この島中にあふれるマンゴーの木は、ちょうど今が食べごろの拳大ほどの実が、枝が折れるほどにタワワに実る。島の南部、GOSRから更に南は街路樹までがマンゴーの木で、今頃から道路沿いの無人販売所では一袋20個ほど入って5ドルそこいらで売っている。

完熟前のまだ青い実をスライスして酢漬したマンゴーは昔から島民の好物で、大きなガラス瓶にいくつも大量に漬け込んで保存食とし、一年中、ご飯のオカズ、あるいはパンに挟んで食べる。その他に酢漬けと言えばこの島産のキューリはピクルスとなり、同じく大根も大量に漬け込んで沢庵の酢漬けとなり、何故か茹卵も?好んで漬ける。(甘酸っぱくほのかに黄身が発する硫黄臭と相混った、、中々の珍味)年中夏のこの島の気候は、その時々に採れる食材をそうして酢に漬ける事で日持ちさせる保存食として昔から受け継がれた島民の知恵なのだ。

因みに酢は古代から盛んに作られていた。彼らは椰子からじつに旨い酒を造る。(ツバと言う名の椰子酒)よく冷やしたものは真にフルーティーで子供でも飲めそうな軟らかいその酒を、更に発酵させれば酒は上質な酢に化学変化する。昔はこれ(酢)を高血圧の予防、傷の消毒、子供の急な腹痛、発熱、その他にも絶大な効力を発揮したらしい。島で椰子酢とは、いわゆる「万能」なんだ。

マンゴーの実は種が大きい分、果肉が少ない。冷凍庫で一旦チルド状に凍らせ、鋭利な刃物で果肉をこそぎ落として食べるのが一番で、冷たいからいっそう旨い。この時期の最大の楽しみであるマンゴーは、おそらく島中の皆が毎日のように食べないと一向に減らないのだよ。「嘘じゃないんだ」、、、汗 オイラなんかドンブリ鉢に山盛りで毎日食べる。否、じつは食べさせられると言ったほうが正解なんだけどね。マンゴーの木がある隣近所から毎日差し入れが絶えないんだよ。そんなに沢山頂いても完熟は食べなかったら、、捨てるしかない。我が家の犬、猫は当然食べないし、主に食べるのは私だけなんだよね。「おとーさん!頂いたものを捨てるなんて出来ないからネ。チャンと食べてよお願いよ!」それがこの時期に、毎日のように続くんだ。

42年前、この島で発見された元日本兵、横井庄一さんは、ジャングル生活28年中、毎年この時期に成るマンゴーは天の恵みにしてカレンダーの代わりだったそうだ。指折り数えてこの時期を待っていたらしい。発見当時、誰かが「横井さん、今は昭和何年かわかりますか?」って聞いたらしい。そしたら横井さんは、即座に「昭和47年!」って答えたらしいのだ。居合わせた一同は、皆ビックリして首をかしげていたらしいのだが、あとで親しい人に「あの美味しいマンゴーは残念ながら一年に一回しか実がつかなくてね、実がなる季節が待ち遠うしくて待ち遠うしくて街路樹にも使われている天然マンゴーは、実が小さいから面倒でもそんな具合に(いったんチルドにしてから)するのが一番だ。しかし、味は絶品である。蜜柑も(この島にもある)バナナも、天然種はいずれも小さい。何れも味は酸味が強く濃厚で、野生種ならではの深い味わいである。

マンゴーも栽培種のメキシコとかフイリピン産の大玉になると日本では一個2,000円もするそうだ。GOSRの皆にそれを言っても誰も信用しない。ところがその大玉も、グアムには自生的な、最初は誰かが植栽したんだろうが、それが増えて管理しないから野生種のように見える大玉マンゴーもあるのだ。以前、どこかの土地に無数に茂っていた大玉の大木を見てビックリしたものだ。天然種の3倍程もある大玉の実がその庭にゴロゴロと幾つも落ちていた。一個2,000円として、10万か15万円分が転がっていたと思う。

ところで大阪屋の親爺さんはそんな秘密の大木がある場所を知っているのか?今ごろは毎日のようにマンゴー狩りに出かけては店に来るお客さんに振舞ってる。だから今頃は大阪屋に行けば誰でもマンゴーをタダで食べられる。それを目当てに必ず今頃グアムにくる客もあるそうだ土地の古老が言うには去年は不作であったが今年は豊作だそうだ。皆さんもぜひココの絶品マンゴーを味わってほしい。

SU-

2012.4.1
「桜咲く4月」

4月と言えば、日本では新年度の始まりで職場にしろ学校にしろ新入生、新社会人は4月がスタートだ。GOSRにも例年2月3月は卒業旅行の若者が多い。いま時の学生はリッチで旅行費用もさることながら小使いも相当持っている。増して今は空前のドル安に学生に限らず若い社会人も相当な買い物をする。日本人の大好きなブランド物は3、4年前に比べれば3割も安いのだから。今がチャンスなんだろう。

大昔、満7歳のオイラが今は亡き母親に付き添われ行った小学校の入学式も、長じて幾たび経験した入学式はいつも桜が満開で、今でもこの季節になるとあの頃を思い出す。あの日の式典に集まった多くの同級生と、既に居た多くの先輩と新たな先生方の顔をいちいち見比べては、また新たな友人ができる期待と少々不安な気持ちが入り混じったなんともいえない雰囲気は嫌いではなかった。そんな時、きまって桜の花びらがハラハラと新たな出会いの場の多くの人たちの上に降り注いでいたものだ。ところが!である。何と!そうした一連の行事を9月に変更しようという動きが何だか?本決まりになりそうなのだ。5年をメドにそうする。そんな動きが本格化しそうな雰囲気に、「いいじゃネーか少しぐらい違ったってよ!」と、オイラは思う。

世界的にみれば確かに9月が新スタートの国が圧倒的なんだけれど、だからこそむしろ一つぐらい(正確には日本だけではないが)その点だけは日本は、あの桜が満開の下のセレモニー(入学式、入社式)はさすが桜の国の日本だ!彼等(諸外国)だって彼らの国独特の習慣はそれぞれあるんだから、そこは「郷に入れば郷に従う」べきじゃないのかなー、、それが、、、、「当たり前田のクラッカー!」じゃないの?

ここグアムにも、そんな独特な習慣が幾つもある。先ず、小中高大学からして6、3、3、4の日本とは違い5、3、4、4である。しかも飛び級まであるから16歳で大学に行く者もあれば、高校を卒業して一旦社会人になり、そこで十分な社会勉強をして尚、向学心に燃えるなら大学に行くのは珍しくはない。むしろそれが良い。

自分で稼いで生きて世の中の仕組みを知った上で、大学で本格的に学問をすればそれはそれで尚良い。30歳過ぎた学生は珍しくもないのがアメリカ社会なのだ。軍隊だって教育期間の4年を優秀な成績で過ごせば大学入学の費用と授業料を持つスポンサーになってくれる。この島で私が通った歯医者はそうして歯科医師になった。偶の演習(義務だから)に参加してそのまま戦闘服姿で患者を治療しているんだってコッチじゃ珍しくもなんともない。その昔、プロ野球広島東洋カープにいた元大リーガーのポプキンズという野球選手は野球を引退してから大学の医学部に入り小児科の医者になった。

どーも日本と言う国は、その点でも画一化(横並び)し過ぎな面が多い。その子の個性を大切にしてそれを大きく伸ばすという事がない。若くして才能を開花させた子は必ずその子の親が、それこそ血の出るような(常識外の行動にでる事による世間からの冷たい目にさらされながら)ヒタスラ、その子の才能を信じ二人三脚で努力を重ねた結果が、時として一芸に秀でた天才児を生む。今の日本は世間が人を育てることはまずない。むしろ世間が「個性」を潰してしまう。どうも日本人は総体的にみればそのような「異端」をひどく嫌う民族のようだ。2千年も続いた農耕生活の「村単位の共同体社会」がその基本なんだろう。そこいらの狩猟採集民族とは違うんだ!と言ってしまえばそれまでだけれど、21世紀の現代に果たしてそんなんで良いのか?とも思う。「個性は美徳」そんな違う生き方があって良い。個人もだが国だって他国と違うのが当たり前なのだよ。それぞれ国が違えば生活習慣も違う。環境だって宗教だって違うんだからこそ、そのあたりがそれぞれの国のアイディンティティーを生むんじゃないのかなあー、、だから他と違う。それで良いと思うね。

今の日本も、これからの日本も絶対に不足する人材は老人介護部門だと思う。 しかし、どうもこれが等閑になっている。急速に進む高齢化社会をいったいどのように乗り切るのか?諸外国から特にアジアの貧しい国々から人材を集めること自体誠に良いことなのだけれど、問題はどうやら日本国の介護制度のバカバカしいほどの規制だ。日本の介護試験をパスしたものに与えられる介護師資格を、どこの国の者でもすべて例外なく日本語による試験義務付ける制度自体を何とかしたほうがヨッポド良いんだ。

季節的にもすばらしい4月の桜が満開に下での誠に日本らしいセレモニーを、いとも簡単に変えようとするくせに、、、それらの国から勤労意欲旺盛な若者に、難解な日本語での試験を平気な顔で押し付けるバカバカしさを、いったい何と考えているのか?所轄官庁のそうした既得権益に風穴を空けて風通しよくすることが政治家の役目なはずが、政治家という既得権益に自らが染まりぬいて、政治家の定数を減らすとなるとそっぽ向く輩があまりにも多い。「総論賛成、各論反対」 なんとも日本人らしい言葉ではないか?だから掛け声だけで一歩も進まないんだよ!こんなご時世(史上最大の借金国家)になったのはいったい誰がしたんだ??あんた達(代議士)だろうよ!いい加減に目を覚ましてほしいもんだ。

一時、相撲界がやれ八百長だ!博打だ!って騒がれていたけれど、彼らは自らの肉体を極限まで鍛え上げて一対一の裸で勝負をしている男達で、たとえ位を極めて横綱になったとしても成績が悪ければ(弱くなれば)後は引退しかない厳しい世界。ところが一方、政治家の世界は太平楽で、一国の宰相まで勤め上げた者が、依然として議員に留まってるなんて図はみっともなくていけない。潔くサット身を引くべきだし一国の宰相以上の仕事なんて他にあるのかい?それともイッソ社会に出て、一市民になって暮らしてみろ。世の中の仕組みを下から見てみろ!って言いたい。「あの魚屋の親爺は元宰相だってよ!」キッと押すな押すなで客が来るはずだよ。剣(真剣での闘争時)の心得の第一は「肉を切らして骨を断つ」自らの血を流す覚悟があって初めて相手を倒す事が出来るんだ。血を流す覚悟。これを忘れちゃー何んにも前に進まないんだよ。

グアム。この小さな島にも10年前まで議員が20人居た。それが今は15人だ。景気が悪いから自分たちの歳費を少しでも減らす。見事じゃないか!簡単にいとも簡単に自らの定員を減らして見せたんだよ。そんな状況(不況)ならみんなで一緒に汗を流がそうよ。知っているだよこの小さな島の彼らでさえ世の中の道理っつうものをさ!律令国家になって既に2000年近くがたつ日本なんだからその辺もう少し日本人自身がしっかりしてほしいと思う。

SU-

2012.3.1
「あれから(東北大震災)一年です。」

3月11日で、丁度一年。
あの日、ハワイに暮らす次男が午後4時ごろ電話くれて、「お父さん大変だよ!日本に大地震が発生して大津波が…」。忘れもしません。
早いもので、あれから一年が過ぎる。あの映像を見て、あの時ほど痛烈に「この世の無常」を感じた事はない。人生の「儚さ」を今更のように実感した。

あそこでは何百万という人々が、それぞれ家庭を持ち職場で働き学校に行き、将来に希望を持って生きていたはずだ。ところが、時にああして突然に起こる強烈な自然現象に翻弄され大自然の猛威に為す術を知らない。
「津波のバカヤロー!!」
と、叫ぶ親を亡くした子供を見て、胸が張り裂けそうだった。人生、「一寸先は闇」、改めて実感した次第だ。

我々人間は、一分一秒先も読めない。丁度、鏡のような湖面を進む船に乗っているのと同じで、進む前方の水面下に大きな岩が潜んでいたとしても、ブツカルまで判らない。明日の約束がない片道列車に乗って、それぞれの終着駅に向って突き進んで行く。人生とはそんなモンだろうと思う。だからこそ毎日を、ほんとうに真剣に生きないといけないのだ。

朝7時に店を開け、夜11時に店を閉めるまでの16時間を365日、毎日毎日繰り返しているコンビ二大阪のマスターは、自分の人生を楽しむという事より、、あーして朝から深夜まで店に立つ事が「天から与えられた己の使命」と心得て、人生をマットウする気なのだ。あの真剣な生きザマは、市井に暮らす多くの人たちの典型です。

日本に足りないものが一つあるとすれば、それは政治の不毛。 低俗な執政者が屯する国会こそが諸悪の根源なのだ。いずれも二枚舌の妖怪どもが跋扈する阿片屈・・・。幸い、今年は国政選挙が取り沙汰されてる。確かな一票でよくよく人材を選挙しようではないか!必ず未来は明るい日本を確信している。

SU-

2012.2.1
「太平洋上に暮らす “島人(シマンチュ=沖縄の方言)”」

グアム島は日本から南にまっすぐ(南極に向って)2580キロの南西太平洋上にある、平均気温25度の常夏の島である。更に南に途中赤道を越えて3000キロ行くとオーストラリアだ。南極までは更に3000キロ行く。初期の南極観測船「宗谷」は必ずこのグアム島で補給と休養をした。
さて、グアム島から東南東約1600キロ行くとサンゴ礁に囲まれた島、チューク諸島がある。無数の島々からなるマーシャル群島の中では人口が一番多い。北緯8度だからより赤道に近い。そこから東南東に約3500キロ行くとハワイ諸島だ。途中、ミッドウェー島が見えるハズだ。

その南東海上付近一帯は昔から多量の雲が発生する海域で、時に強烈なタイフーン(台風)のタマゴ(トロピカルストーム)が生まれる。あの辺りからグアムに真っ直ぐ向ってくるトロピカルストームは特に要注意だ。
10年前、グアムに壊滅的被害をもたらしたタイフーン「ポンソナ」はちょうどあの辺りから真っ直ぐ史上最大(風速98m)としてこの島を襲った(2011年9月号参照)。
戦後は長く国連が信託統治していたが1995年アメリカの保護領になった。以来、多くの島民が比較的近くて同じ太平洋上にあるこのグアム島に出稼ぎに来ている。

その島の人たちをチューク人「チューキス」Jhuukiesと言う。
肌はライトなチョコレート色。体格は男女ともに大きく手足長く体つきに比べて顔は小さく目は大きく睫毛長くて顔立ちはハッキリしている。肌の色といい一見してアラブ人のようだ。  ただ、女性は思春期あたりから例外なく急激に太りだす。尤も丸々と太った女性が彼等の美意識でいう「美人」なのだそうで、髪は漆黒の俗に言うカラスの濡羽色、しかも長く伸ばし相撲取りのように頭の上に高く結い上げる。
独特な極彩色の、くるぶしまでの長い円筒系をしたダブダブのスカートをまるで自分たちの丸々とした体型を隠すように穿き、履物は決まって裸足にビーサンだ。
ただ最近の若い娘達はジーンズにスニーカーが多い。彼女達の伝統衣装ではどこの職場も雇ってくれない。彼女らがはくジーンズのお尻はどの娘も例外なく今にもハチ切れそうにみえる。

写真はイメージです。この人は「チューク人」ではありません(笑)。

男はそうでもない。ただ彼等の食生活と母親のDNAか? デブとまではいかないが肉付きは非常に良い。運動神経も抜群で脚力腕力とも強く「男」として申し分ない。

島の暮らしは貧しく、せいぜい魚を獲るかタロイモを栽培して売るかで生活を支えるが、1995年以来アメリカの保護の下、多大の援助で人並みの暮らしが出来るようになった。
ただ、以来多くの男はアメリカの兵隊になった。第一次湾岸戦争以来今回の対テロ戦争でも多くの島の男が戦死した。
島独特なチューク言葉があるが小学校から英語教育だから軍隊に入っても彼らに言葉の壁はない。
前線の兵隊(消耗する)としては彼らは申し分ない。勇気はあるし運動神経も抜群で、しかもたとえ戦死しても安くつくのだろうか?

20世紀の半ば過ぎまでイギリスは植民地インドから多くのインド兵を各地の戦いで使った。フランスもイタリアも同じように植民地から、オランダもベルギーもドイツもロシアも、そして日本も、みな同じようにそれぞれの植民地から多くの男を兵隊に使った。小説「坂の上の雲」の秋山好古少将(日本騎兵の祖)が戦ったロシアのコサック騎兵もやはり少数民族だ。
現在のアメリカもそうである。パラオ諸島、マーシャル群島、マリアナ諸島もすべて保護領にした。そして40年前のベトナム戦争以来、アメリカは徴兵制を布いていない。自衛隊同様に広報活動で多くの若者を集める。
しかし世の中の景気が良ければ今時の若者は軍隊を嫌う。1990年代からの好景気に比例して軍隊の定員割れは深刻な状況にあった。いくら笛を吹いても若者は集まらないのだ。深刻な兵隊不足に頭を悩ませた当時のアメリカ政府は、大平洋上のこれらの島々をアメリカの保護領にすることでそこから兵隊を補おうとした。

今回、グアムも無関係ではない沖縄普天間基地移転問題を見るに付け、日本人同士(沖縄県民と日本政府)の反目に頓着せず日本の防衛の肩代わりの代償だと言う事だけで土足で他国に踏みこむような(一方的な日米地位協定も然り)態度は正に大国の植民地主義の何ものでもない。
増して哀れは、確かな国家感もない日本の薄っぺらな政治家が、権力(=単なる議席)の奪い合いだけに終始している今の現状だ。選挙に勝つためには平気で自国民さえ欺き、それら思惑いっぱいの大国に阿る非国民的政治家の存在を見過ごしてしまう日本人の気質。
何事も丸く治めようとする日本人。それはそれで、良いのだが・・・。
要は「大国」のエゴに振り回されるのは日本もチューク諸島の島人もおんなじだと言うことだ。食料その他のインフラを援助してやる替わりに兵隊を出せ! アカラサマだよ。借金の形に「娘を差し出せ!」。やってる事は悪代官と変りゃしない。

さて話を元に戻そう。
そんな彼らチュークの男に欠点があるとすれば彼らは酒に弱い(下戸という意味ではない)。要はダラシしのない酒になるのだ。
ウソか眞か? あの島では酒の販売はご法度で、島の政府の特別な許可がない限り酒は売れない? 1920年代のアメリカに似た「禁酒法」が今でもある。体格が体格だからいくらでも飲む。そして狂ったように陽気になる。普段おとなしい口下手が酒が入ると人柄が変る。それも悪い方に変るのだ。
日頃の鬱憤が? 酒の力で一気にマグマのように噴出すのか? 彼らの新しい雇い主アメリカ軍も最初はそれを知らない。前線ではキツイ任務なだけに酒は豊富にある。彼らはその酒を飲んで狂う。
軍隊は階級がすべての厳格な縦割り社会だけれど、一旦酒が入った彼らにそんな上下関係は霧散と化す。注意した上官を平気で殴る。押さえつけようにも何しろ怪力の持ち主ぞろいだから酒が入った彼らほど危険なヤツらはない。
この島でも同じで、稼いだ金で好きなだけ酒を買う。酔った彼らが引き起こす事件事故は絶えない。しかし、むやみに他人を傷つける事はしない。酔った彼らを挑発しなければいいのだ。そして、間違っても日本語の「バカヤロー!」を言うのはだけは止めた方がいい。彼らは 「バカヤロー!」の日本語が解かる。「トンマなヤロー」の意味も理解する。

今から70年前、日本とアメリカが激しく戦った太平洋戦争。チューク諸島は第一次世界大戦以来日本の信託統治領であった。当時の「トラック諸島」だ。巨大な東京都ほどもある広いトラック環礁が有名で、その環礁自体が当時は海の要塞の体を成していた。
対米開戦時の華々しい「真珠湾攻撃」で撃ちもらしたアメリカ機動部隊の殲滅を図って立案した「ミッドウエー作戦」が思わぬ敗戦で逆に連合艦隊虎の子の航空母艦4艦を失う大敗北に、山本長官自身深刻な「欝状態」に陥り、開戦初期の貴重な時期にも関わらず8ヶ月もの間、連合艦隊は天然の要塞深く閉じこもってしまうという無為無策を演じている。
今回の福島原発事故に措いても明らかになったが、危機に陥った際の対応能力のマズサはこれまで事有るごとに見てきた。阪神淡路の大地震のときもそうだった・・・。

どうやら日本人の最大の弱点はそのあたりに思えてならない。どんな場面でも、事が行け行けの上げ潮時には指揮官なんて要らない。
去年終わったNHKドラマ「坂の上の雲」あの時代の維新の大回転を成し遂げた彼ら(明治の若き指導者たち)とは、これが同じ日本人か? と首を傾げたくなる程その後の日本人指導者の著しい質の低下は本の著者、司馬遼太郎自身そんな思いを述べている。
巷間言われる震災時の菅内閣の危機管理の欠如、やはりそれは事実だった。しかし振り返って、今の日本のリーダーの中で果たして誰が真のリーダー(ボス)足りえるのか・・・? しかし、そこに今、「西の都」に、それらしい人物が現れつつあるのだが…と、オイラは個人的には大いに期待しているのだけれど。

アメリカ海軍の太平洋上の要ハワイと、当時独立国とは名ばかりのアメリカの属国フイリピンの首都マニラを一直線状に結んだ丁度中間に位置する地理的環境と、日増しに高まる当時の仮想敵国アメリカを意識した大日本帝国海軍は、トラック諸島(チューク諸島)を一大要塞化した。
天然の環礁を利用した大規模な基地を建設するにあたり多くの島民を使役した。彼らは日本兵から日常的に「バカヤロー !」「トンマなヤロー !」って言われ続けたのだろうか?なによりも嫌う言葉が「バカヤロー」なのである。

何年か前、GOSRにも彼らが働いていた時期があった。最初は実によく働く。ただ、自分で判断して働くという事はない。与えられ命令された仕事は黙々とこなす。しかし監督者がチョット目を離せばすぐにサボる。
何より、給料日の翌日から決まって無断欠勤が始まる事だ。3日、長いのは一週間仕事に来ない。辞めたのかと思うとそうでもない金が無くなると平気な顔で戻ってくる(笑)。
Joe(現G.O.S.R. Renge Master)は彼らを使う名人で、ニンジンを鼻先にぶら下げた馬のようにして彼らを上手く使う。さすがにアメリカ陸軍元曹長だけある。見事な「人使い」っぷりだ。どこまでも優しく彼らに接する。言って聞かせ、やって見せ、やったら誉める。誠に感心する人使いの達人だ。
しかしそんな達人にして、彼らチューク人独特の精神構造と生活習慣までは理解できず終いにはJoe自身が疲れ果てた。

元来このあたり南西太平洋で暮らす島人はすべてそうだが、一度もこの辺りから外に出たことがない男も女も、、外の暮らしを知らない分、色濃く古くからの習慣が抜けない。特に彼らはそうで集団で暮らす。親子三代は言うに及ばず、親戚一同、従兄弟鳩子まで一緒に暮らす集団生活が当たり前なのだ。寝る時は重なりあって寝る。
高校の時、集団で登った八ヶ岳の山小屋で寝た雑魚寝、丁度沢庵を漬けるように大根を互い違いに並べたように、自分の顔のすぐ前に誰かの足がある。
ま、そこまでいかないまでも、満員電車の中のような集団で暮らすのが彼等の習慣で、一軒家で20人30人で暮らす。着るものも食べるものも個人の所有という意識すらない集団だから、自分の物であって自分の物でない?? どう説明してイイのやら…?

すべてが集団の物(者)である集団生活には必ずボスがいる。ボスがいない集団は集団とは言わない、単なる「烏合の衆」だ。
「お前とお前は働きに行け。お前は子供の面倒をみろ。お前とお前は食事の支度を、お前達は外で遊べ」すべてボスが指図する。
そうなると公私が無いから着る物まで共有する。
「このシャツは明日は私がつけるからね」「お前がつけてるズボンは明日は俺がはく」
ってな具合で生まれたときからそんな集団生活をしていれば違和感なんて無い。

ただ、そうした集団生活者が一般社会に出て、まったくの他人と一緒に同じ職場で働くとなるといろいろな差しさわりが出る。自分、他人の区別がつかないから他人の弁当は平気で食う。誰かが洗濯して干してあるシャツ、ズボンなど平気で自分が着てしまう。一般の常識に当てはまらないのだ。
どこかの家の庭で洗濯物が風になびいていたら、彼らはその洗濯物を着てしまうのだ。彼らが多く住む地域の住宅では、洗濯物は外に干さないのが今や常識なのだ。(ホント!)(笑)。
あるとき女房と二人、久しぶりの水曜ナイトマーケットに出かけたときの事。GOSRのロゴ入りのポロシャツを着た一団を見た !よく見ると彼らが凡そ7人すべてがGOSRのポロを着ていたのにはこっちもビックリだ。(なんらかの宣伝効果)はあるのだろうけど(笑)
翌日、Joeは2人居た彼らに、Joeにしては珍しいほど「怒った」。尤も、バカヤロー! とはさすがのJoeも言わないけれどね。以来、ポロシャツの管理はJoeの専売になったんだ(笑)。

人は育つ環境でどのようにも染まる。生まれ落ちた環境がオオカミの群れであればそこで人間の子供はオオカミとして育つ。

「井の中の蛙大海を知らず」では本当に困る。
日本人の「内弁慶」的モノの考えでは、先の大戦の二の舞になる。それこそ国家100年の大計を誤る。これからの日本の若者は早いうちから外国に出て国際感覚を大いに研かねばならない。
川の上流のゴツゴツした荒削りな石ではダメだ。
下流に流されて行くうち角がとれて丸くなる「上等な砂利石」の如くでなければならない。
あのチューク人も、この島で長い時間を過ごす事で少しずつ研かれてその社会に溶け込み少しずつ国際感覚(常識)を身に着けていくんだ。果たして今は徐々にではあるがそんな彼らが多くなったことは事実で、どこの職場でも彼等の活躍は珍しくない。  そしてG.O.S.R.にも、やがてそんな彼らが戻ってくる事だろう。

SU-

2012.1.1
「正月といえば日本は真冬。グアムは短パン、ビーサンで過ごします。」

この島は皆さんもご存知のように、毎日が「夏」しかも常夏です。
ハワイとか沖縄も同じ常夏とは言え、1月2月は涼しすぎてとても海には入れません。その点グアムは、正真正銘紛れも無い「常夏」です。だから一年中、短パン、ビーサンで通す島民は多い。
結婚式だろうが葬式だろうが、必ずそんな格好のおじさん(偶におばさんも)を見かける。最初はそんな小父(小母さん)さんを見て、いちいち驚いたが今はこっちも慣れっこで何の違和感もない。
“何も付けてないスッポンポンじゃなし、立派なTシャツ(大概はどこかの宣伝が入っている。アメリカの大手ビール会社のロゴ入りが多い)と、短パン、ビーサンで一年を暮らして何が悪い!” と、小父さんは言う。

何千年もスッポンポンで暮らしてきた確かな実績(?)が、そんな地元のおじさんのDNAにしっかり受け継がれているんだろう。

ゴルフ場で見かける長ズボン姿は必ず観光客で、私も含めて地元はすべて短パン(むろんゴルフシューズは履く)。南国の強烈な太陽に、顔と首と二の腕の半分から下と膝から下、ここが異様に焼けて、たまに行く日本の大衆銭湯で鏡に映る自分の裸を見るに付け、一人だけその部分の黒さが異様だからか?

どうりで、みんながジロジロ見るんだなー。このオヤジいったいどんな商売してるのか? ってね(笑)。

それから、実際にこの島で長く暮らしてみると(来年で18年になります)、なんて言うか、その・・・時が、時間ですが・・・ツッー・・・と、わりかし早く流れていきます。
私の年齢がそう感じさせるのか? ほんと、アレよアレよッちゅー間に時が過ぎる。「春夏秋冬」がない常夏の島の暮らしは、四季の移ろいを感じさせる間もない一本調子だから余計そんな感じがするんだろうか?

しかし一方では、各駅停車に乗ったような、ある意味でここの暮らしは退屈です。
「退屈こそが最大の贅沢」だ、なんて仰る方も偶には居ますが、普通は誰だって「退屈」は・・・タイクツですよね??
そんな「退屈」が嫌で、朝から晩まで休まず働く人が実はこの島には意外と多い。中には3つも4つも、と言えば大げさに聞こえるけれど、実際そんな働き者は居る。

アメリカの最低時給は$8チョィ弱。歴史的にこの島とつながりが深いフイリピンから多くの人がこの島で暮らすが、かれらの大多数は非常な働き者だ。
時間8ドルといえば彼の国では一日の賃金に匹敵する。ここでの一日の稼ぎは彼の国の10日分ぐらいなのだ。だから寝る間も惜しんで働く。朝から一つこなして、夕方から深夜までもう一つこなしてその職場の休みの日にもう一つこなして土、日にもう一つこなす。

怠け者が多い地元ッ子(チャモロ)も、中には、学校の先生が夜の時間とか土、日に警察官のアルバイトを(予備警察官制度がある)、警察官が非番にスーパーの警備員を(これは心強い)、夜間専門の警備員が昼間その店の店員を、スクールバス・ドライバーが夜タクシー・ドライバーをする。
意外な気がするけれど働き者に人種の差はない。「南の島だからみんなノンビリ暮らしている」は間違いだ。しかしそんな働き者は絶対的に少数だけれどね。

この島では断然、日本人観光客相手の商売はどこも忙しい。
ホテル、免税店、レストラン、各人気のオプションツアーなどなど、少しの日本語を話せれば仕事に困らない。日本語がじょうずなら引く手数多だ。時給だって$12-14はザラだ。やはりフイリピン人で働き者のまだ22歳と若い娘が月$4,000も稼ぐという。
彼女に特別な才能はない。日本語が上手くてチャーミングなだけだ。雇う方も彼女の日本語が魅力だから時給も高い。若いし、疲れを知らないパワフルな働きぶりだからそんな大金を稼ぐんだろう。彼女の一年の稼ぎで彼の国では家が一軒建つというから、このままあと20年もここで働き続ければキッと彼女は大金持ちだ! がんばれ!

ある地元の旅行会社に、御歳80歳を遥かに越えた不死鳥のようなバアーちゃんが働いていた。英語と日本語ともう一つの国の言葉を巧みに使い分け孫のような同僚たちと仲良く働いていた。
遥か昔に最愛の夫を亡くし子供も居ないから文字どうり「天蓋孤独」の生活をこの島でおくっている。夫との思い出がいっぱいのこの島から彼女は離れようとしない。

この島は小さい。島の何処に行ってもこの島すべてが彼女には最愛の夫との思い出の場所なのだ。夫の墓もこの島にある。いつか彼女もその墓に入るのだろう。
今は90歳を越えたか? そのご婦人にとってこの島は、昔あった映画のタイトル「天国に一番近い島」そのものなんだ。

その更に大昔のフランス映画に、アラン・ドロン主演「太陽がいっぱい」という映画があった。イツも身なりがキチンとしていて、彼女が外出するときは髪が乱れないように頭からシャネルのスカーフを巻き、濃いめサングラスをかけ、細身の華奢な身体に花柄のワンピース姿は、「太陽がいっぱい」の中の若い女優を彷彿とさせる後姿だった。あの女優も、もし生きているとしたらそうとうなお婆ちゃんになっているのだろう?
今年も新しい年がめぐって来たが、我々人間は、毎年毎年歳を重ねて老いて最後には必ず死ぬ。彼女もやがて死んで行くのだが、“私はね、楽しみなのよ、だって「亭主」に久しぶりに会えるからサ!”

彼女とは昔同じ職場だった事がある。
その時分から相当なお歳でその会社の名物婆ちゃんだった。
“〇〇チャン(沖縄出身の有名なゴルフの女子プロと同じ名前)は、イツもキレイにしいるね?”
オイラが聞くと、ケラケラ笑いながら、
“死んだ亭主がね、私がボロ付けてると(お洒落してないと)怒るのよ。だから毎朝バッチリ化粧して良い洋服を着て出かけることにしてるの。”
その会社も、彼女が働けるうちは居てもらおうと考えてくれていたらしい。

いつもお二人でいらっしゃるマツダ様ご夫妻。本当に仲が良くて羨ましいですね♪

だが、今は居ない。老いはその名物婆ちゃんから確実に身体の自由を奪っている。後は最愛の「亭主」のところに行くのを待つばかりだ。

“これでやっと旦那さんに会えますね”
もし彼女にまた会えるとしたら、そんな一言を言って上げたい。

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